◎【買取情報】書学院出版の『呉趙印存』を買取りいたしております。

書学院出版から刊行された『呉趙印存』を買取りいたしております。

本書は、中華民国時代に刊行された同名の印譜を復刻した書籍です。

『呉趙印存』の「呉」は呉譲之、「趙」は趙之謙を意味します。

二人とも中国清時代を代表する書家・篆刻家で、現在でも大変人気のある作家です。

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呉譲之は1799年に生まれました。

名を廷颺(テイヨウ)、字を熙載、号を譲翁、堂号を師慎軒などといいました。

著名な書家である包世臣に師事し、書や篆刻を学びました。堂号の「師慎」は包世臣(字は慎伯)に師事したことを意味します。

師匠である包世臣の影響が強いことはもちろんですが、隷書や篆書においては清代中期の書家である鄧石如(トウセキジョ)の作品から受けた影響が大きいことは見逃せません。

早くから官吏としての栄達を諦め、書画篆刻で生計を立てる道を選び、その作品は当時の文人たちからも愛好されました。

65歳頃には趙之謙の訪問を受けたと伝えられています。

晩年は目の力の衰えを訴えて篆刻を廃し、もっぱら書画で生計を立てるようになりましたが、1870年に不遇のうちに亡くなったと伝えられています。

師慎軒印存』などが呉譲之の印を収めた有名な印譜です。

趙之謙は、呉譲之から30年遅れて、1829年に生まれました。

字を益甫や撝叔、号を悲盦(ヒアン)や冷君といいました。

代々続く裕福な家庭に生まれましたが、少年時代には家が零落し、20歳を過ぎると太平天国の乱に巻き込まれ、塾の講師などを勤めて生活を支えました。

科挙を何度か受験するも合格することはありませんでした。しかし、潘祖蔭など有力官僚との知遇を得て各地の知事として赴任することができました。

書・画・篆刻いずれにも秀でており、それまでになかった独特の作品は前人未到の領域に至ったといわれ、現在では大変高い評価を受けています。

日本において趙之謙の価値を認め、その芸術を世に広めたのは、篆刻家として有名な河井筌廬(カワイセンロ)です。

中国美術品の目利きとしても知られており、自身でも数々の作品をコレクションしていた河井セン廬ですが、その中でも趙之謙の書画コレクションは他に類を見ないほどの規模だったようです。

昭和17年には自身のコレクションを含む趙之謙作品の大規模展覧会を開催し、『二金蝶堂遺墨』という豪華な図録まで出版しました。

当時はそれほど多くの趙之謙作品が日本にあったのですが、大変残念なことに、太平洋戦争末期の東京大空襲に際し、河井宅も被害を免れることができず、そのコレクションも烏有に帰しました

観自得斎印集』や『二金蝶堂印譜』などが趙之謙の印を収めた有名な印譜です。

『呉趙印存』は、印の蒐集家として有名な浙江省の葛昌楹が刊行した印譜です。

葛氏は多くの名印を集め、『丁丑劫余印存』や『明清名人刻印彙存』という有名な印譜を刊行しています。

本書で特徴的なのは、印面の墨拓が掲載されていることです。

印影には、印泥(朱肉)の具合や捺すときの技術の差により、微妙な差異が生じます。印面の墨拓では、その差異が生じにくく、より彫られた印そのものの姿を表現しやすいといいます。

解説は、日本の篆刻家としてトップクラスの知名度を誇る小林斗盦氏です。

『呉趙印存』の刊行事情などが詳しく記載されているので、篆刻に興味のある方には一読していただきたい解説です。

さて、当店では、そんな書学院出版の『呉趙印存』を買取りいたしております。もちろん、オリジナルの『呉趙印存』も大歓迎です。その他の書道書、書道具・書道用品、古書全般の買取りも行っておりますので、ご不要なものがございました、ぜひお気軽にご相談ください

当店では、書学院出版の『呉趙印存』以外の書道本や書道具、また古書・古本全般も買取りいたしております。

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