◎【買取情報】『荃廬先生印存』(二玄社)の売却は、忠益軒にご相談ください。
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≫河井荃廬はどんな人?
『荃廬先生印存』は、明治から昭和にかけて活躍した篆刻家である河井荃廬の作品を集めた印譜です。
河井荃廬(本名仙郎)は、明治4年(1871年)に京都で生まれました。
父親である川井仙右衛門は、印判師として当時有名だった人物です。
篆刻では篠田芥津に師事しましたが、荃廬に最も強い影響を与えたのは、清時代末期を中心に活躍し、「最後の文人」とも称される呉昌碩です。
30歳近くも年の離れた呉昌碩への思い入れは大変強く、はじめは手紙による指導を受け、30歳頃になると念願だった中国へ渡り教えを受けることになりました。
その後も頻繁に中国を訪れ、当地の人物と交流したり、中国の文物を日本へ持ち帰るなどの活動を行います。
日本国内でも中国に関心を寄せる多くの人々と交流をもちました。
中国関連の書籍を取り扱っていた文求堂の主人であった田中慶太郎、書画用品やお香を取扱う老舗である鳩居堂の店主であった熊谷直之、日本有数の拓本コレクションを残した三井高堅らが、荃廬と交流をもった人物として有名です。
荃廬は中国美術品のコレクターとしても知られる人物ですが、そのコレクションのなかでも特に力を入れていたのが趙之謙の書画コレクションでした。
昭和20年(1945年)3月10日夜、東京は激しい空襲に見舞われました。いわゆる東京大空襲です。
東京都千代田区の九段にあった河井荃廬邸も空襲の被害を免れることはできませんでした。
自宅に火が燃え移ったことを知った荃廬は、消火のために自宅へ戻り、そのまま帰ってくることはなかったということです。
河井荃廬は、趙之謙コレクションをはじめとする多くの中国美術品とともにこの世を去りました。
≫『荃廬先生印存』は河井荃廬芸術の集大成
『荃廬先生印存』は、河井荃廬の篆刻作品を多数収録した作品集です。
河井荃廬は生前に自身の作品集をほとんど残しませんでした。
自ら積極的に作品集をまとめようとしないどころか、他人が荃廬の作品集を作ることさえ、ひどく嫌ったと伝えられています。
そのため、荃廬の生前、その作品をまとめてみることは困難だったようです。
没後、いくつかの印譜が刊行されましたが、最大規模の収録数を誇るのが本書『荃廬先生印存』です。
編集には、西川寧や小林斗盦など書道界・篆刻界の第一人者があたり、資料として800に近い印影を収集することができたといいます。
21歳の作品から74歳の作品まで幅広く網羅した本書をみれば、河井荃廬が残した篆刻芸術のおおよそを知ることができます。
河井荃廬の篆刻を愛好する人にはもちろん、近代日本の篆刻を知ろうとする人には大変有益な書籍です。
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