◎【買取情報】『中村家三代の篆刻展』など、篆刻美術館の図録を買取りいたしております。
令和3年(2021年)に、茨城県古河市にある篆刻美術館で開催された展覧会『中村家三代の篆刻展』の図録を買取りいたしております。
忠益軒では『中村家三代の篆刻展』図録のほか、各種図録や古書古本を買取りいたしております。
ご不用な書籍がございましたら、お気軽にご相談ください!
≫二人の「蘭台」と中村淳
中村家とは、初世中村蘭台・二世中村蘭台・中村淳という三人の優れた篆刻家を輩出した家系を指します。
中村家の篆刻は初世中村蘭台に始まります。
初世中村蘭台は、安政三年(1856年)、現在の福島県会津若松市に生まれました。
通称は稲吉、蘭台はその号です。
父親は会津藩士でしたが、勤皇思想をもっていたため、佐幕派の会津藩とは相容れず、藩主の怒りをかい自殺するに至ったといいます。
父親の死後、母や兄弟とともに江戸へ出た初世蘭台は、船問屋の養子に出され、旧姓の須藤を中村を改めました。
篆刻では、江戸時代後期から明治時代にかけて活躍した高田緑雲に師事し、腕を磨いたといわれています。
初世蘭台が生きた時代は、ちょうど江戸幕府が崩壊し、明治という新しい時代を迎えた時期にあたります。
鎖国政策を実施していた江戸時代にあっては、海外から流入する情報や文物に限りがありましたが、明治時代になると、それまでとは比較にならないほど海外との交流が増加していきました。
中国との交流にも、その事情は当てはまります。
日本において、時代が江戸から明治へと変わるころ、中国は満州族の支配する王朝である清時代の後期を迎えていました。
この頃活躍していた篆刻家に徐三庚という人物がいます。
刻印に優れた技術を発揮し、緻密で華麗な印を得意とした篆刻家です。
それまで江戸時代の篆刻家や秦漢時代の印に影響を受けていた初世蘭台は、新たにもたらされた徐三庚の作風に大きな影響を受け、自身の作風を一変させました。
また、印の素材として積極的に木材を使用し、篆刻に新たな一面を開きました。
二世中村蘭台は、初世蘭台の次男です。
若いころは初世蘭台に似た作風でしたが、年を重ねるにつれ、従来の篆刻の常識とは異なる自由な発想で、独特な文字のバランスと斬新な空間配置を配合した印を残しました。
初世蘭台にも劣らないほど木材を素材とした作品の制作に手腕を発揮し、印のみならず、木額など多くの木彫り作品を残しました。
中村淳は二世蘭台の子です。
祖父、そして父である二世蘭台の影響を強く受け、まさに中村家の芸術を継承する正統な後継者ですが、ついに「蘭台」という号を名乗ることはありませんでした。
後進の指導にも熱心に取り組み、その教えを受けた篆刻家が現在でも活躍しています。
≫中村淳 生誕100年
展覧会『中村家三代の篆刻展』は、中村家の三代目にあたる中村淳の生誕100年を迎える令和3年(2021年)に開催された展覧会です。
開催地は、日本でただ一つの篆刻専門美術館である、茨城県古河市の「篆刻美術館」です。
中村淳の作品を中心に、初世蘭台と二世蘭台の作品も数多く展示されました。
篆刻美術館では、過去に初世蘭台と二世蘭台それぞれにスポットをあてた展示が開催されましたが、この展示は中村家三代に渡る篆刻芸術を見渡すことのできる新たな試みでした。
三人とも有名な篆刻家であるため、それぞれの作品が個別に展示されることは珍しくありませんが、三代に渡って著名な篆刻家を輩出した「中村家」という観点を軸として、これほど多数の作品を展示するという試みは、今回初めてなされたのではないでしょうか。
初世蘭台・二世蘭台・中村淳が、それぞれ先人から何を吸収し、どこを変化させて自身の作風を形成するに至ったのか、そんなことを考えるのに大変参考となる展覧会でした。
本図録には、そんな中村家三代にわたる作品の数々が収録されています。
初世蘭台、二世蘭台、そして中村淳の作品に魅了された人には、ぜひ一度手に取っていただきたい図録です。
まとめ
☆中村家は、初世蘭台・二世蘭台・中村淳という三人の篆刻家を輩出した家柄
☆展覧会『中村家三代の篆刻』には、初世蘭台・二世蘭台・中村淳、三人の作品が数多く展示された
☆本展図録は、中村家の人々がどのように自身の作風を作り上げていったのか知るための参考になる
さて、忠益軒では、『中村家三代の篆刻展』をはじめとする書道の図録を買取りいたしております。その他、ご不用な書道の本、篆刻の本、印譜などがございました、ぜひお気軽にご相談ください。
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